大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和35年(ネ)12号 判決 1964年3月12日

控訴人 吉田勘作

被控訴人 吉田武夫

主文

一、原判決を取り消す。

二、東京都新宿区番衆町一〇番ノ九、宅地七三坪八合三勺及び右地上に存する家屋番号同町一〇番一二木造瓦葺平家建居宅一棟建坪一四坪二合五勺(実測一五坪三合八勺七才)がいずれも控訴人の所有であることを確認する。

三、被控訴人は控訴人に対し、右土地及び建物につき各所有権移転登記をなし、かつ、右建物を明け渡すべし。

四、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一、控訴及び答弁の趣旨

控訴代理人は、主文同旨の判決及び建物明渡の部分につき仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

第二、事実上の陳述

(控訴代理人の請求原因の主張)

一、控訴人は、昭和二三年一〇月一一日訴外大和生命保険相互会社から主文第二項記載の本件土地を買い受けたが、帳簿類の製造業を営み、きびしく税金の追及を受けていたので、その賦課の多くなるのをおそれ、買受人を便宜上三男篤(昭和二五年三月九日死亡)名義としておいたところ、控訴人の二男である被控訴人は、昭和二七年二月一日東京法務局中野出張所受付第九一〇号を以てほしいままに自己名義にその所有権取得登記をした。

二、控訴人は、昭和二四年八、九月頃右地上に主文第二項記載の本件建物中の別紙第一物件目録及び付属図面表示の第一物件の部分(以下居宅部分という。)を建築して所有していたところ、被控訴人は昭和三二年六月控訴人に無断で、右居宅部分に接続して別紙第二物件目録及び付属図面表示の第二物件の部分(以下増築部分という。)を増築した上、右両部分を合せた本件建物につき、建坪を一四坪二合五勺として、同月二七日東京法務局新宿出張所受付第一四、四四〇号を以てほしいままに自己名義に所有権保存登記をした。

三、控訴人が右の如く建築所有していた居宅部分は、建坪九坪八合余で六畳、四畳半各一間、勝手、便所、玄関、物置等からなるものであるところ、被控訴人が右の如く無断でこれに付加した増築部分は、建坪五坪五合で、六畳一間と床の間のみからなるものであるから、民法二四二条本文の適用により増築部分の所有権は附合によつて主物たる居宅部分の所有者である控訴人に帰属し(付加部分たる右増築部分が、取引上、既存建物たる右居宅部分と別個の所有権の対象となり得べきものであるとしても、そのことは右部分についての控訴人の附合による所有権取得の妨げにはならない。)、右の次第で本件建物は控訴人の所有であるに拘らず、被控訴人は前記の如くその登記名義を有するのみでなく、現にこれを占有している。

四、以上の如くであるから被控訴人に対し、本件土地、建物についての各所有権の確認、その各所有権移転登記及び右建物の明渡を求める。

(被控訴代理人の本案前の申立)

控訴人は、増築部分に関する請求において、従前、居宅部分は控訴人の建築所有するものであるが、増築部分は、被控訴人が控訴人所有の本件土地上に無権限に居宅部分に付加して増築所有するもので、控訴人の右土地所有権を侵害するものであるとして、増築部分の収去によるその敷地の明渡を求めていたのに、当審昭和三七年五月二九日の口頭弁論期日において、増築部分は附合によつて控訴人の所有に帰した旨主張を変更し、また新らたに、被控訴人は、右の如く控訴人の所有となつた増築部分を占有している旨主張して、右部分についての請求を、その所有権の確認、所有権移転登記及び明渡の請求(控訴の趣旨たる、本件建物についての所有権の確認、所有権移転登記及び明渡の請求に含まれる。)に改める旨訴の変更をするに至つたが、右は訴訟手続を著しく遅滞せしめるものであるから、訴の変更不許の裁判を求める。

(被控訴代理人の請求原因に対する答弁及び主張)

(一)  請求原因一の事実は、控訴人はその主張の日に本件土地を訴外大和生命保険相互会社から三男篤(控訴人主張の日死亡)名義で買い受けたのであるが、控訴人の二男である被控訴人において右土地につき自己名義に控訴人主張の如き所有権取得登記を了したことは認めるが、その他は争う。そもそも右買受土地につき、控訴人は買受当時その権利を被控訴人に贈与したのであり、昭和二六年一一月一二日代金の支払も完了したので、被控訴人は控訴人との右約旨により、控訴人主張の日自己名義に登記を受けたまでのことである。

(二)  同二の事実は、被控訴人において、控訴人主張の頃居宅部分に接続して増築部分を増築したこと及び被控訴人が本件建物につき控訴人主張の如く、自己名義に所有権保存登記を受けたことは認めるが、その他は争う。居宅部分は、被控訴人において昭和二四年八、九月頃、当時本件土地は前記の如く被控訴人の所有地であつたので、控訴人から建築資金を貰い受けて自己名義で建築したもので、被控訴人の所有であり、また被控訴人において、その所有地上に前記の如く増築した増築部分ももとより被控訴人の所有であるから、結局本件建物は被控訴人の所有である。

(三)  同三の事実は、被控訴人が本件建物を占有していることは認めるが、その他は争う。居宅部分及び増築部分の各建築、所有の関係は控訴人の主張するところと異り、被控訴人の前記主張のとおりであるが、仮りに、居宅部分が控訴人の所有であつて増築部分が被控訴人の無権原増築にかかるものであるとしても、凡そ民法二四二条本文の規定により附合によつて所有権を取得するには、いわゆる付加部分が既存建物と一体不可分となり、付加部分のみでは経済上の目的を達し得ない場合に限らるべきところ、本件における増築部分は控訴人の主張と異り、六畳一間の外に三畳の間その他を有するものであり、台所と便所とは便宜上居宅部分のものを利用しているが、三畳の間を台所に使用し、便所を新たに設けることは容易なことであるから、独立して経済上の目的(居住)を達し得る家屋であつて、居宅部分と増築部分とは各自独立して経済上の目的を達し得べく、相併合せずして建物としての効用を全うし得るから、本件は附合の規定が適用される場合ではない。

(四)(1)  仮りに本件土地、建物が控訴人主張の如く控訴人の所有であるとしても、被控訴人はおそくも居宅部分が建築された当時において、敷地を含めて居宅部分の使用権、管理権一切を控訴人から贈与されたものであり、また増築部分についても、その所有権は附合により控訴人に帰属するにせよ、被控訴人は居宅部分につき右の如く使用権、管理権を有する以上、被控訴人が敷地についての右使用権に基いて増築したものであるから、被控訴人にその使用権、管理権があるのであつて、結局被控訴人の本件建物の占有は適法である。

(2)  仮りに右主張理由なしとするも、敷地及び居宅部分についてはその建築完成して被控訴人が入居するに際し、控訴人との間に、被控訴人が将来蓄財して他に住居を求め得るに至るまでの間使用させる旨の使用貸借契約が成立しているのであり、従つてまた右契約上増築部分についても建築する権限を有していたのであつて、被控訴人の本件建物の占有は適法である。

(控訴代理人の被控訴人の主張に対する答弁、主張)

控訴人は被控訴人に対し本件土地を贈与したことはない。また控訴人は、被控訴人に対してその主張の如く敷地を含めて居宅部分の使用権、管理権なるものを与えたこともなければ、被控訴人との間に居宅部分につき、その主張の如き使用貸借契約を結んだこともない。控訴人が被控訴人を居宅部分に入居させたのは、家族の一員として居住させたまでのことで、もとより使用貸借契約をした関係ではない。

仮りに、居宅部分につき控訴人、被控訴人間に被控訴人主張の如き内容の使用貸借契約がなされたとしても、被控訴人は、その後すでに本件土地上に木造瓦葺二階建居宅一棟、一階一四坪、二階一一坪二合五勺を建築所有しており、控訴人は被控訴人に右建築を、一階は自己の住居に使用し、二階は他に賃貸するということで許容したものであるに拘らず、被控訴人はこれに反してその全部を他に賃貸しているのであるから、被控訴人主張の使用貸借はその当初の目的消失したものというべきであり、また被控訴人は前記の如く控訴人の二男であるところ、控訴人所有の本件土地及び居宅部分を自己の所有とすることを企て、控訴人が老令かつ文字に暗いため保管させておいた関係書類を悪用して、ほしいままに自己名義にその所有権の登記をなし、控訴人の唯一の希望である隠居所用の本件土地上に、当時入院中の控訴人が強く拒否するに拘らずこれを無視して増築部分を増築する等、老令の実父に対し忍び得ない打撃を与えて省るところがないのであるから、使用貸借の基礎たる信頼関係はすでに消滅したものというべく、これらの理由によつて控訴人は本訴において(当審昭和三七年六月一九日の口頭弁論期日)被控訴人に対し、右使用貸借解除の意思表示をする。

第三、証拠<省略>

理由

まず、被控訴人の訴の変更不許の申立について判断する。

控訴人が被控訴人主張のとおり訴の変更をしたことは本件記録に徴して明白である。しかし右主張によつて明らかな如く、控訴人の主張は変更の前後を通じて、増築部分が附合によつて控訴人の所有に帰したと主張し、ひいて被控訴人は右の如く控訴人の所有となつた増築部分を占有していると主張するに至つた点を除いては、なんの変更もないところ、本件において附合による所有権取得のため必要とされる事実は、増築部分が居宅部分に対して従として附合した状態にあるという点を除いては、控訴人がすでに主張、立証し来つたところであるから、控訴人の附合による増築部分の所有権取得の主張のために訴訟手続上新たに必要とされるに至つたのは要するに右両部分が右の状態にあるや否やの審理のみであるところ、右審理はさほどの時日を要するものではなく、また増築部分が被控訴人の占有にあることは、当事者双方の主張の全趣旨に徴し、相互にすでに主張し来つたところとなすべきであるから、結局控訴人の訴の変更は訴訟手続を著しく遅滞せしめるものといえず、これを許容すべきである。

そこで本案につき判断するに、控訴人が昭和二三年一〇月一一日訴外大和生命保険相互会社から本件土地を三男篤(昭和二五年三月九日死亡)名義で買い受けたところ、控訴人の二男である被控訴人は、右土地につき、昭和二七年二月一日自己名義に控訴人主張の如き取得登記を了したこと及び昭和二四年八、九月頃右地上に居宅部分が建設されたことは、いずれも当事者間に争がない。ところで、控訴人は、右居宅部分は右の如き控訴人の所有地上に、控訴人が建築、所有するものであると主張するに対し、被控訴人は、控訴人は被控訴人に本件土地を贈与したものであり、居宅部分はこの被控訴人の所有地上に、被控訴人において控訴人から資金を貰い受けて建築、所有するものであると主張するので、以下まず右土地贈与の有無とこれによるその所有権の所在及び居宅部分の建築によるその所有権の関係について検討する。

被控訴人本人は、原審において、昭和二三年九月頃控訴人に本件土地の借地権を買つてもらい、昭和二六年一一月頃控訴人に金をもらつて右土地を買い受けた旨、また当審(第一回)においては、かねて控訴人に東京都新宿区花園町の土地数十坪を被控訴人名義で買つてもらつていたので、控訴人が篤のために同人名義で昭和二三年九月頃本件土地の借地権を取得した際、右土地と本件土地とを交換してもらい、ついで前同様にして本件土地を買い受けたとか、あるいは、控訴人は右の如く被控訴人の所有であつた花園町の土地を昭和二四年暮に売却したので、本件土地は当時控訴人から代りにもらつた関係になつているとか、さらには、昭和二四年九月頃被控訴人が居宅部分を建築したとき右花園町の土地と本件土地とを換えてもらつたとか等不明確かつ一貫しない供述をしているが、被控訴人本人のこれら要するに控訴人から本件土地を贈与取得したとする趣旨の供述部分は、その供述の態様自体に徴し、また後記諸証拠に照らし、信用できず、次に、成立に争なき乙第七号証の一ないし三によれば、居宅部分は被控訴人名義で建築許可を得、建築手続がなされたことが認められ、被控訴人本人は原審並びに当審(当審は第一、二回)において、右部分の建築、所有につき被控訴人の主張にそう供述をしているが、右の建築上の名義を被控訴人としたのは、そのいきさつ後記認定の如くであり、以て居宅部分についての被控訴人の主張を認める資料となし難く、また被控訴人本人の右供述も後記諸証拠と対比して信用できないところである。その他本件土地及び居宅部分の所有関係につき被控訴人の主張にそう趣旨の原審証人渡辺綱二の証言もにわかに採用できない。また被控訴人本人の当審(第一回)における供述によれば、被控訴人は本件土地につき前記の如く自己名義に取得登記を了した後である昭和二九年になつて、近接する土地を通路として訴外大和生命保険相互会社から取得したことが認められるところ、右土地取得は、原審並びに当審証人石川憲司の証言によれば、実際は右訴外会社が登記簿上の各土地譲受人に私道のため各地先を無償譲渡したのによることが認められるし、仮りに被控訴人本人の右供述及び成立に争なき乙第四、五号証にあらわれているとおり、被控訴人において買い受け取得したものであるとしても、要するに被控訴人の隣接私道地取得の事実は、以て直ちに被控訴人のその主張の如き本件土地の贈与取得の事実を断定させるには足らない。なお、公務所作成部分の成立に争なく、その他の部分も真正に成立したものと認める乙第九号証によれば、居宅部分については昭和二六年以降、本件土地については昭和二八年以降いずれも昭和三四年まで、被控訴人名義で固定資産税が納入されていることが認められるが、居宅部分は被控訴人名義で昭和二四年に建築され、本件土地はすでに昭和二七年被控訴人名義に取得登記がなされていること前記の如くであるから、被控訴人が納税者とされていることは怪しむに足りず、また仮りに被控訴人において実際にその納入負担に任じたものとしても、後記諸証拠と対比すれば、その故に本件土地、居宅部分が被控訴人主張の如くその所有に帰したものと認めることはできないのである(しかも、控訴人が被控訴人に対し税金上の配慮をしていたことは後記認定によつても窺われるのである。)。

本件土地及び居宅部分に関する被控訴人の前記主張の容認し難いこと右の如くであるところ、ひるがえつて当審証人石川憲司の証言によつて同人作成のメモであることの認められる甲第一号証、成立に争なき甲第二ないし第九号証、乙第二、第六、第八号証に、原審証人小池善治、原審並びに当審証人大塚徳寿、吉田通雄、石川憲司の各証言、控訴人、被控訴人各本人の原審並びに当審(当審においては第一、二回)における供述(もつとも被控訴人本人の右供述中次の認定と牴触する部分は措信しない。)を合わせると、真相は次の如くであると認められる。

すなわち、控訴人は昭和二三年九月頃一たん本件土地の借地権を三男篤名義で譲り受け、当時の土地所有者訴外大和生命保険相互会社から管理、処分を任されていた訴外日本不動産株式会社によつてその承諾を得たが、間もなく同年一〇月一一日右篤名義で右会社によつて自らのため右土地を代金坪当り五〇〇円で買い受け(当時本件土地は八一坪余であつた。)、次いで昭和二四年八、九月頃建築許可等建築名義を二男の被控訴人とし、一切の費用を負担して自らのため地上に居宅部分を建設したのであつて、右土地買受人、建物建築人の名義を右のようにしたのは、自已の家業たる製本業上の課税に影響のあるのをおそれて名義のみをその子らに借りたというにすぎず、右の借地権取得、これに次ぐ土地の購入、また居宅部分の建築等は、その遠い将来における処分等についていかに考えていたかは別として、当時製本業を営む控訴人の肩書居宅は極めて手狭で、辛うじて控訴人夫婦及び長男通雄夫婦が居住し得るにとどまり、二男の被控訴人及び三男の篤ともに近くに下宿している始末で、篤は病弱、被控訴人はすでに成人している等の事情もあり、ために一家の住居を広げる必要からしたことであつて、現に右居宅部分の建築完成と同時に、被控訴人及び篤をここに入居させ、昭和二五年二月被控訴人が結婚してからは篤は控訴人において引き取り、被控訴人夫婦をこれに住まわせ来つたのであり、昭和二三、四年当時において控訴人が所有していた不動産は本件土地を除いては、新宿区花園町所在の数十坪の土地(この土地も前同様の税金上の考慮から被控訴人名義にしていたが、控訴人は経済上の都合で昭和二四年末他に売却処分した。)のみで肩書居宅の敷地九坪余の土地を買い取つたのがその後である昭和二五年末、右居宅を買い取つたのは(長男通雄名義)さらにその後である昭和二七年末のことに属し(しかもこれらの買取も、訴訟上の紛争解決のため、成行上やむなくした、といういきさつの如くである。)、昭和二三、四年頃においてはもとより、その後においても、控訴人が二男たる被控訴人にのみ不動産を与える特別の事情もなかつたし、実際にも被控訴人主張の如く本件土地を贈与したり、金を与えて居宅部分を建築させたりしたことなどなかつたのであつて、昭和二六年末他から本件土地に含まれていた数坪の部分の分譲を求められた際にも、控訴人においてこれを承諾した上で、被控訴人に命じて一切の売却手続をさせ、代金は本件土地の税金にあてるべく、そのまま被控訴人に持たせたという経過であるが、控訴人は文字にも暗く、長男通雄も同様であつたがために、前記借地権譲受、土地購入、居宅部分建築等にあたつては、学校教育を受けた被控訴人を信頼し、これをして殆ど任せきりに外部との折衝、手続の実行等にあたらせたのであつて(かくて居宅部分の建築においても、被控訴人において、命により、被控訴人名義による建築許可の取得、建築手続の進行等にあたつたのであり、また右建築当時被控訴人は後記の如く本件土地を借用名義のままにしていたので、右建築に適応するよう前記日本不動産株式会社から土地についての協力を得た次第である。この点についてはなお前記乙第七号証の一ないし三参照)、本件土地買受の際の手付金の領収証(甲第二号証)も被控訴人に持たせたままとし、そして控訴人は右手付金支払後間もなく残代金等を被控訴人に託したのであるが、被控訴人は直ちにその支払をすることをせず、地代を払つて借地契約を継続させた上、昭和二六年一一月一二日に至つて残代金、手数料等の支払をなし、その各領収証(甲第三、四号証)を受け取り、右の手付金領収証とともに自ら保管していたが、右代金支払を完了するや間もなく、被控訴人はほしいままに、自己を土地買受人として登記することになつた旨日本不動産株式会社に申し出で、被控訴人を買受人とする本件土地の売渡証(乙第二号証)の作成交付等所要の協力を得て、昭和二七年二月一日前記の如く自己名義にその取得登記を了したものであり、なおその後において、被控訴人は、右会社における本件土地についての事務担当者であつて、前記の如き従来の接触によつて懇意になつていた訴外石川憲司に対し、篤は死亡していて税金上の都合もあるから、同人宛に発行されている右甲第二ないし第四号証の各領収証を被控訴人宛にしてくれるよう申し入れたため、石川はこれら三通の領収証を回収した上で(甲第二号証の鉛筆書の部分は、その際石川においてメモとして記入したものである。)、昭和二七年一一月頃、日付を甲第三、四号証のそれに合わせて昭和二六年一一月一二日とした、右三通の各領収証記載金額の合計額についての被控訴人宛の領収証(乙第六号証)を発行交付したのであり、かくて被控訴人は本件土地の買受人たる外形を作為したのである。

かように認められるのであつて、要するに本件土地はもとより居宅部分も控訴人の所有にあつたものとされるところ、次に被控訴人が昭和三二年六月居宅部分に接続して増築部分を増築したことは当事者間に争がなく、右増築につき控訴人の承諾があつたことは、これを認むべき証拠がなく、他にその権原があつたことは被控訴人の主張、立証しないところであるから、被控訴人の右増築は無権原になされたものとなすべきである。

そこで居宅部分と増築部分との建設の状況について検討するに、当審における検証の結果と控訴人及び被控訴人の各第二回本人尋問の結果とによれば、居宅部分は東西三間半、南北二間半の北向木造平家、建坪八坪七合五勺を本屋とし、西北端に一坪余のバラツク建物置を付加せしめてなり、本屋は表側に玄関、台所、便所等が設けられ、その奥に六畳及び四畳半各一間等が東西に並存しており、増築部分は右六畳の間の南側(居宅部分の東南隅)の東西一間半の部分において居宅部分に接続して南方に向つて細長くつき出すように建てられた東西一間半または二間、南北三間の木造平屋、建坪五合五勺で、右居宅部分の六畳の間の南側に隣接するのが三畳の間、その南側が六畳の間となり、六畳の間の東側に床の間等が設けられているのであつて、屋根は居宅部分の本屋がセメント瓦葺、増築部分が瓦及びトタン葺、外壁は前者が主として板張り、後者がモルタル塗りとなつているものの、これらはそれぞれ完全に接着し、後者は前記接続部分における前者の土台、基礎、柱等をすべて共用して建築されていて、両者は外観上一棟の建物となつており、そして接続部分は共用の三尺の障子戸二枚及び三尺の内壁になつていて、この障子戸により前者の六畳の間と後者の三畳の間を通じ、これによつて両者が連絡されており、後者には前記の如く玄関、台所、便所等の設備がなく、これらはすべて前者のものを使用せねばならぬ構造になつているのであつて、これを要するに増築部分は居宅部分に合して不可分の一体をなし、その構成部分となつていることが認められる。従つて控訴人主張の如く、増築部分は附合によつて居宅部分の所有者たる控訴人の所有に帰したものとなすべきである。

かように本件土地、本件建物ともに控訴人の所有であるところ、右土地につきすでに被控訴人名義に所有権移転登記がなされていることは前記の如くであり、また本件建物についてもすでに昭和三二年六月二七日被控訴人名義に所有権保存登記がなされていることは当事者間に争がないから、控訴人の本訴請求中本件土地、建物についての所有権の確認及び所有権移転登記を求める部分は正当として認容すべきである。

おわりに本件建物の明渡の請求について判断する。

被控訴人が本件建物を占有していることはその認めるところである。被控訴人はまず、敷地を含めて居宅部分についての使用権、管理権を控訴人から贈与された旨主張し、この使用権、管理権により、またはこれを前提として、本件建物についての使用権、管理権の存在を主張するが、本件にあらわれたいかなる証拠によるも、贈与による被控訴人の右の如き格別の権利、権限の取得の事実は肯認されないから右主張は採用できない。

次に被控訴人は、敷地及び居宅部分については、被控訴人の入居に際し(昭和二四年八、九月頃)、控訴人との間に主張の如き内容の使用貸借が成立したとなし、これにより、またはこれを前提として、本件建物についての占有権原の存在を主張するが、控訴人はその住居手狭のため居宅部分を建設して子である被控訴人をここに別居させたというのが、居宅部分及び敷地についての控訴人、被控訴人間の関係のすべてであること前記認定の如くであつて、特に両者の間に使用貸借契約というような明示の契約が締結せられた事実は何等これを認むべき証拠がなく、況んや被控訴人主張のように、入居に際し控訴人と被控訴人との間で、被控訴人が将来蓄財して他に住居を求め得るに至るまでの間使用させる旨明示の約定がせられた等の事実は全くこれを認めることはできない。しかし、被控訴人が本件居宅部分に入居した関係は、控訴人と被控訴人との親子関係に基いて、控訴人がその子である被控訴人をその所有家屋に住まわせたという関係であつて、これを法律的にいえば、使用貸借の関係というの外はなく、倫理的色彩の非常に強い使用貸借の関係というべきものであろう。そしてこの使用貸借の関係は、相互間の信頼関係に強くその基礎を置くものであり、借主側にこの信頼関係破壊の行為があれば、貸主としてはそれを理由として使用貸借の解除を為し得るものと解すべきであるが、本件において、居宅部分及び土地等に関して被控訴人がした前記認定の如き行為は、使用貸借の基礎たる信頼関係を破壊すべき背信行為の大なるものというべきであるから、右使用貸借について控訴人が本訴においてなした解除の意思表示は相当であり、本件使用貸借はこれによつて消滅したものとなすべく、結局被控訴人の右主張はその余の控訴人の主張についての判断をするまでもなく失当であつて排斥を免れない。従つて控訴人の本件建物明渡の請求も正当として認容すべきである。

以上の如く控訴人の本訴請求はすべてこれを認容すべく、これを棄却した原判決は失当であつて取消を免れない。よつて訴訟費用の負担につき、民事訴訟法九六条、八九条を適用し、仮執行の宣言は諸般の事情にかんがみ、これを付しないのを相当と認め、主文の如く判決する。

(裁判官 山下朝一 多田貞治 古原勇雄)

「別紙」

第一物件目録

東京都新宿区番衆町壱〇番の九

家屋番号 同町壱〇番の壱弐

一、木造瓦葺平家建居宅 壱棟

建坪 壱拾五坪参合八勺七才(登記簿上壱拾四坪弐合五勺)の内

図面<ハ>、<ニ>、<ホ>、<ヘ>、<ト>、<チ>、<リ>、<ハ>の各点を囲む部分

建坪 九坪八合八勺七才

第二物件目録

右同家屋の内

図面<イ>、<ロ>、<ハ>、<リ>、<ヌ>、<ル>、<イ>の各点を囲む部分

建坪 五坪五合

図<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例